いち「清掃員」が語る6つの瞬く星たち ― アイナ・ジ・エンド編 ―
BiSHの楽曲を聴いたとき、まず「アイナ・ジ・エンド」のエモーショナルに歪む、尖鋭的な歌唱に耳目が惹かれるのは分かりやすいところだ。
異性ながら憧れの歌声だ。あんな声で歌いたい。
あんな風にマイクの柄の真ん中より少し下の方を持ってこなれた感じでカラオケなどで歌いたい。
そのようなマイクの持ち方で歌う姿もそうだが、ステージ上での彼女は特に自身のパートとなると、「私はここにいるぞ、観てくれ」と言わんばかりに心地よい攻撃性を帯びる。その姿にシビれるのだ。
そして彼女の書く歌詞の主人公も、どこか頼りないのにもかかわらず、エネルギッシュで攻撃的である。グランジっぽいというか、それこそニルヴァーナっぽいとも言えるかもしれない。
最近はソロワークでのラブソングも印象的で、それらは薄幸が故の色気を放つような内容だ。
総じて、退廃的とまでは言わないが、どこか欝々とした印象の歌詞を書く。それは彼女の心理を表しているかのようでもある。
また、BiSHの楽曲の振付けのほとんどを担当しているのが彼女であるということもよく知られたところだ。どういったところから着想を得ているのだろうと思うような、いずれも非常に多彩な振付けである。
彼女本人が語るにはメンバーの日常的な仕草などからも取り入れたりもしているとのことである。
好きな振付けはたくさんあって、例えば『FOR HiM』は緩急があり、中でも彼女がひときわ躍動的に踊る姿により幻想的な印象を受ける。
また『stereo future』には全員が手をブルブルと震わせる振付けがあるが、これは彼女自身が日常的に手の震えが止まらない時期があり、それをそのまま振付けに採用したとのことである。少し心配にもなるエピソードだが、表現自体が彼女の心身を解放する手段となっているということではないだろうか。
他にも『DiSTANCE』の「笑顔貼り付けた」で顔の前で手のひらをかざしたら笑顔から真顔になる振付けなどは、天才的だと思う。何かからの引用だったとしても、これを発想するあたりは感心してしまう。
まだまだ魅力的な振付けはたくさんあるが、彼女の振付けで個人的に特に印象的な部分は、各メンバーのステージ上での力を引き出す効果を持っているところだ。
これを思うと、BiSHに限らず、振付けというものは演者に対する「ドーピング」のようなものに思えてくる。単に手順どおりにこなせれば良いというものではなく、演者自身もそのことを意識しなければ観ているものを魅了することは出来ないのだろう。
彼女の振付けを観ているとそんなことにも気付かせてくれるのだ。
そんな彼女は各メディアを通して見ていると、どこかアーティスト的なワーカホリックであるように思える。
もちろん仕事でやっているわけで、作詞とともに、考えなきゃいけない振付けがたくさんあり、その締め切りもあるだろうし、そうなると日常が「ネタ探し」だろう。日常、非日常も含めて経験する全てが「ネタ」になる、とも言える。
作詞のことを考えるとメンバー全員がそうなのかもしれないが、ほとんど全ての楽曲の振付けを彼女が生み出し続けてきているという状況は、メンバーの仕草や手の震えなどを振付けに取り入れている件も踏まえると、いわゆる「生みの苦しみ」が特に常態化しているメンバーなのではないかと想像してしまう。
加えて、彼女が生みだした振付けなのだから、彼女が他のメンバーに対してもレクチャーしなければならない。そうなると彼女の思い通りにならないことも多々生まれてくるだろう。
さらに歌唱のこともあるわけで、そりゃあワーカホリックにもなるだろうし、単に「振付けまで考えてるなんてスゴイね」なんて言葉だけで片付けてはいけないのではないだろうか。
彼女は常人には考えが及ばないようなことを常に行っているのである。
とはいえ、BiSHの冠ラジオ番組などで見せる(聴かせる)彼女は、「気さくで下ネタに敏感な大阪のおもろいねーちゃん」である。個人的には非常に親しみを感じる。
その一方で、アーティストとしての表現に関することについては、うって変わって知的な言葉選びでそれを語る印象がある。
彼女はあるところで「踊ることで鬱積するものを発散出来る。それは、踊ることには言葉が必要無いが故に、表現内容に責任が伴わないから」と語っていた。
個人的には興味深く、そして腹に落ちる表現だった。彼女は根っからの「アーティスト」なのだろう。
ところで、私は日本のアイドル界の「推しメン制度」に対して前向きではない。
「この中で誰が一番好きなの?」、まずこの発想がよく分からない。私が観ているのは楽曲でありパフォーマンスだ。それ言い出したら「全員が推しメン」だ。
そんなに生真面目になる必要はないのだろうが、楽曲のことでもなく、まず「誰が一番好きなのか」を訊ねてくる傾向は「アイドル蔑視」が根底にあるのではないかと思えてくるのだ(とはいえ、例に漏れずBiSHのメンバー自身も、それが彼女らの意思かどうかは分からないが、「清掃員」らに「推しメン」を訊ねがちなんだけれど、それはBiSHの楽曲、パフォーマンスが好きだという前提があるので別にいいのです)。
ただ、もしその「推しメン」を選ばなければならないとするならば、まず私は「推しメン」というものを、一番好きなメンバーというより(好きであることは確かだが)、そこに「神輿」があったとして、自分がその担ぎ手のひとりとなって、その神輿に乗せたいメンバーのことであると規定しようと思う。
それならばBiSHの中での私の「推しメン」は彼女、アイナ・ジ・エンドだ。
文字通り「神輿を担ぐ」、特に機嫌が良くなるようにおだてていきたい。
もちろんそれはおべんちゃらや太鼓持ちではなく、嘘偽りの無い言葉でだ。
私にとってアイナ・ジ・エンドは「推しメン」という概念を改めさせたメンバーでもあるのだ。
――次回はハシヤスメ・アツコについて。
※断っておくが、私はBiSHとしての彼女ら個々人の分析や、その答え合わせしたいわけではない。
勝手に感じたことを独り言のように記しているだけだ。