兵士、そして「歯」。 ――『日本軍兵士 ―アジア・太平洋戦争の現実』(吉田 裕 2017年)――

私は自分の「歯」の不具合を感じるたびに、思い出す著書がある。

『日本軍兵士 ―アジア・太平洋戦争の現実』(吉田 裕 2017年 中公新書)という、主に日中戦争からその後に拡がったアジア・太平洋戦争期の日本軍兵士が置かれた現状を記したものである(以下で挙げる記録は全て本書からのもの)。

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本書の主たる観点として、先の大戦での日本人犠牲者は約310万人、そのうち戦闘による死亡ではない、「戦病死者」の数が甚大であったということがある。

 

日中戦争時の全戦没者に占める戦病死者は約50.4%であったという記録は残されているが、アジア・太平洋戦争期に関しては包括的な統計は残されていないようで(“日本政府お得意”の廃棄かしら?)、これについて著者は本文で「アジア・太平洋戦争日中戦争以上に過酷な状況のもとで戦われたことを考慮するならば、前者の戦病死の割合が後者のそれを下まわるとは、とうてい考えられない」と書いている。確かにそうであろう。

 

また、本書の大きな特徴としては、日本政府発表の記録よりも(先に書いたように、そもそもあまり残されていないのだろうけれど)、連合国側の記録及び、その現場にいた兵士ら自身が記した記録を中心に当該戦場の状況を紐解いている点が挙げられる。

 

例えば、日中戦争の中国戦線で戦った“とある一連隊”の日中戦争以降の「戦没者名簿」によれば、絶望的抗戦期(1944年8月~1945年8月)と呼ばれる、つまり、「ほぼ敗戦決定であるにもかかわらず、上意下達で強制的に踏ん張らせていた期間」に重なる1944年以降の全戦没者における戦病死者の割合は約73.5%であったという。

 

やはりおそらく、この期間の全戦没者には、その多くが「戦病死」であったという深刻な現実があったのだ。そして戦争が長期化するにしたがって戦病死者が増えていく傾向にあるようだ。

 

戦病死の原因自体は、アメーバ赤痢、細菌性赤痢マラリア結核などであったようだが、食糧に始まる兵站不足が極度の痩せ、食欲不振、栄養失調、貧血、慢性下痢、劣悪な衛生環境をもたらし、それらの悪疫に拍車をかける。

 

加えて戦場は極度の心身の過労が常態化している。そういったストレス、不安、緊張で拒食症となり、高度の栄養障害が起き、それは「戦争栄養失調症」と呼ばれた。

 

それらの結果、多くは「餓死」に至ったという。

 

悲惨かつ衝撃的である。この期間、日本軍兵士は戦闘によるものではなく、半数以上が戦場で病気になって死んでしまったのである。

 

加えて、軍内での「私的制裁」、すなわち士官や古参兵などの若い兵に対する「暴力」の常態化があった。

物理的暴力だけでなく、侮辱や屈辱などの精神的苦痛を与えることが好んでとられたのだそうだ。

そういったことによるストレスなどから「自殺」も多数起きる。「私的制裁」を行っている兵士の、それに対する言はというと、「強い兵士を作るために行ったことであり、それに耐えられない奴が悪い」といった、自殺の原因を個人に還元するものであったということである。

 

基本的に日本軍は、人員不足、物資不足、他国に劣る武器戦闘能力などの兵力の乏しさを「マッチョイズムで補って頑張れ、日本軍の意地を見せろ」という思想。だから、捕虜となることも「恥」。ほうっておくと、敵軍に捕まって捕虜になるかもしれない自国の傷病兵を殺害したりしていたそうだ。

かの有名な「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」どおりだ。

 

かつ、物資不足を補うため、「現地自活」という名目で中国民衆からの「略奪の推奨」も行っていたようであり、控えめに言っても総じて最悪である。

 

また、戦況が厳しくなってくると、とりあえず老兵や知的障碍者なども兵士として採用したり、15歳前後の少年兵もたくさんいたのだそうだ。

 

そして夫を戦争で亡くした「戦争未亡人」に対する日本陸軍の思想もなかなかのものである。

それは、「一度嫁いだら、夫以外の男はないから、妻たるもの主人と別れたならば、一生独身で暮らすことが日本の婦道であり、貞操上の理想」というものだったという。

現代もそういう考えの人はいるのだろうが、これを国が国民に要請するのである。おそらく宗教的な価値観に基づくものでも無いだろう。

なんなんだ、これも。バカなのか。

 

それらの詳細や、その他にもさまざま注目すべき記述はあるのだが、冒頭の「歯」の不具合時に本書を思い出すということについてである。

 

戦場という劣悪な環境では、兵士個人で口腔の衛生状態を管理することが難しく、「歯科治療」の問題はかなり深刻で、長期戦になればなおさらのようであった。

 

確かに「歯科治療」はかなり専門的な分野である。現代の一般的な日常生活においても、多くの人の悩みのひとつでもあるだろう。戦場で深刻になるのも頷ける。

個人的には戦場における「歯」のことは本書を読むまで考えたことが無かった。

 

このことは日中戦争で大きく露呈し、1940年3月に陸軍で歯科医将校制度、1941年に海軍軍医学校で歯科医科が設けられ、歯科医科士官制度が出来たが、実情はアジア・太平洋戦争期も日中戦争期とあまり変わらなかったとのことだ。

 

欧米諸国は第一次世界大戦の経験から戦場での歯科医療の重要性を認識し、対策を進めており、日本軍も一応はそういった欧米諸国の動きを認識していたにもかかわらず、日本軍での対策は遅れてしまっていた模様。

その際、連合軍も「日本陸軍は連合軍に比べて歯科治療の水準は劣っている」、「日本陸軍は連合軍ほど歯科の観点から部隊の健康に注意を払っていない」と結論づけているとのことだ。

 

近現代の日本政府はなぜ「対策」が遅れるのだろうか。様々な面で2020年に至る現在までもそのことは顕著である。

 

個人的に、この「歯科治療」に関する最も印象的な記述としては、1943年に現役兵として湘桂作戦に参加した兵士の証言で、「行軍中、歯磨きと洗顔は一度もしたことはなかった。万一虫歯で痛むときは患部にクレオソート丸(現在の正露丸)を潰して埋め込むか、自然に抜けるのを待つという荒療治」を行っていたというものである。

正露丸を潰して埋め込む。考えただけでかなり痛そうだ。そして素人でもわかる、おそらく絶対治らない。

 

例えば、田舎暮らしや南の島で暮らすこと、はたまた、もしも無人島でしばらく暮らすなんてことを夢想した場合、「医療」の問題はあまり考えないのではないか。仮に考えに及んだとしても、「歯科治療」はかなり盲点なのではないだろうか。ここしばらく歯科にかかっていない私などは特にそうだろう。

 

日常的に運動不足でも、生きていれば非常によく使う部位の1つのこの「歯」。

何か不具合があっても、ほっといたら治るというものでもないだろう(腐ってポロっと抜けたりすることもあるのか?しかし、それに至るまでには激烈な歯痛を伴うのではないか?)。

 

私は本書を読んで、戦場の凄惨さとともに、このように改めて「歯」の管理についての意識を持つに至ったのである。

 

学校の教科書に書かれているような「歴史」は、ほとんどが「権力者」が残した資料をもとに描かれている。

現代以降は、記録を残す手段は良くも悪くも容易かつ多分にあるだろうが、時代を遡るほどに「小さな声」はかき消されてゆく。

古今東西、戦争をはじめとして、人類の犯す罪の中で犠牲になった者たちの「声」を「権力者」たちは恣意的に取捨選択してきた。

だからこそ、あらゆる物事を単に歴史の1ページとして認識するのではなく、そこに携わる個々人がさらされて来た状況に対する視点を忘れてはならないのだ。

 

そして、飲んだくれて寝落ちして起きた瞬間に「あ、歯磨きせなあかん」と考えるようになった現在の我が身がここにある。