生きるとはアンビバレント(PART10)  ~続・欅坂46MVプレイバック、かく語りき~

続いて、『二人セゾン』は一見、かなり既存の48や坂道のイメージに近いだろう。

 

MVも「スクールガール信仰」感が強く、その点は個人的には気持ち悪いのだが、03:27あたりからの平手のソロダンスの振付けと共に、このMVでの特に私の印象的な点は、03:53あたりからの「春夏秋冬生まれ変われると」の歌詞のところで、平手がそれを歌いながら髪をかき上げるところである。この時の平手の前髪は長いわけではなく、額がほぼ隠れるぐらいの長さである。

 

何が言いたいのかというと、私のそれまでの、特に48などの女性アイドルの印象はといえば、ヘアスタイル、特に前髪をやたらと気にしているというもの(何があってもキープされるようにカチカチにスプレーで固めるといったような)だったにもかかわらず、彼女はそんなことは顧みずに表現の流れのまま、無造作に自分の髪の毛をかき上げているのであり、当時16歳の「アイドル」の少女が、その活動の中で、見た目よりも楽曲に係る感情表現を優先させているその姿に感銘を受けるということだ。

 

『世界には愛しかない』は、そもそも「○○しかない」という言い方が嫌いなので、タイトルの時点でどうかと思うが、まぁ“若さゆえ”に「○○しかない」という「単純な答え」を求めてしまうという思考形態がテーマなのだろうかと考えようかとも思ったが、うーんどうかな。わからん。

 

そういったことではないとしたら、これはその後の『アンビバレント』と矛盾しないだろうか。「愛」は別なのだろうか。そもそも「愛」ってなんだ。というかそこまで厳密には考えていないだろう。秋元康のことだし。知らんけど。私が面倒くさいことを考え過ぎなのだろう。いや、こんなことを考えるのが好きなのだ、私は。

 

サイレントマジョリティー』に対する楽曲の印象は以前書いたが、その後の平手の変化(?)を受けると、「大人たち」の方がいくらか変化したのではないか、という想像を踏まえると、印象は以前よりも肯定的なものになるかもしれない。

 

その他、カップリングやアルバム曲などもかなり画期的、実験的な楽曲が多く、現在は他の48や坂道をほとんど観ていないので分からないが、やはり欅坂46はその中でも良い意味でかなり異質だったろう。

 

しかし、『黒い羊』(2019年2月27日リリース)から後は新たな楽曲が正式にはリリースされなかった。

これにも様々な内部事情などはあろうが、その理由の勝手な想像の1つとして、この『黒い羊』がかなりエポックメイキングな楽曲であったがために、それ以降に対しても更なるそういった期待が内外で求められる状況となっていたことがあったのではないかと思っている。

要はハードルが極端に上がってしまったのではないかということだ。

『黒い羊』は好きな楽曲だが、個人的な印象としてはいささかやり過ぎだった感は否めなかった。

 

またつらつらと、今さら感満載で書いてきてしまったが、総合的に見て、欅坂46には私の観たかったものが多くあったということだ。それはもちろんMVに限らず、ライブパフォーマンスも含めてだ。

 

加えて、欅坂46のファンになって感じたことは、同じ作品でも自分の心境や状況によって受け取る印象や興味ががらりと変わることだ。

 

そしてここまでメンバーでは平手のことばかり書いてしまっている。他のメンバーのことも書き出すとキリがなくなるということもあるが、『ガラスを割れ!』のところでも書いたように、こう言ってしまうのは気が引けるが、やはり「欅坂46」は結果的に「天才 平手友梨奈のグループ」となってしまっていたのだ。

とはいえメンバーたち自身も、彼女に対しては嫉妬を超えた信頼というか、形容し難いが、彼女に対する嫉妬自体が恥ずべきものだという心持ちすらあったのではないだろうか。知らんけど。

 

私見だが、欅坂46はデビュー当初より48や坂道の中ではひときわ楽曲には恵まれていただろう。ただ、おそらくそれと共に著しく楽曲に駆動されていった、悪く言えば呪われた、もしかすると自らで呪いをかけてしまった、音楽史上かなり稀有なグループであろう。

 

遅まきながら彼女らを知って、そこからの約1年間でひときわ状況が大きく変化し、「欅坂46」はその名に幕を下ろす。

個人的にはグループ名などどうでもいい。名前など後々ついてくるものだ。だから、グループ名変更の功罪は現時点では判断しようもない。しかし、こだわりがあるからこそ変更するのだろう。

 

そもそもAKB48だの乃木坂46だの変な名前である。しかしそれらに限らず、活動結果を通して、良くも悪くも社会に影響を与えていくことで、その名前というのはある種「ブランド化」していくわけだ。

 

もちろん「屋号」は大切だろう。しかし耳目を集めるためとはいえ、事前にひとまずグループ名を変更することだけを大々的に公表した今回のように、あまりこだわると、その影響が果たして良い方に向かうのかどうかの疑問は出てくる。

 

いずれにせよ思うことは、「ポスト平手友梨奈」を意図的に生もうとしてはいけないということだ。

それは関係者が一番よく分かっているはずだ、と思いたい。

 

このグループには様々な噂や憶測もあるが、それらの真実など知りようもない。というか真実は各人の視点によりニュアンスが異なり、その色を変える。単純な「正解」などない。それは欅坂46に限ったことではない。

それはそれらを見ないようにするということではなく、複雑さを前提にする、という考え方の話だ。

 

あ、また忘れていた。もとは自分の「心の弱り」の話だった。うーん、それはやっぱりよく分からない。

 

 

PART11へ続く。