生きるとはアンビバレント(PART8)  ~逡巡がもたらす欅坂46の引力~

私が欅坂46に改めて注目しだしたのは、前職を退職する2019年9月ごろだった。

 

退職した安堵感はあったが、その後の漠然とした予定は立ててはいたものの、個人的にも社会的にも、将来に対する不安感などを考えれば、件の「心が弱っているとき」だったかもしれないし、とはいえ、やっぱりそうでもなかった気もする。

 

というか、「心が弱る」って何だろうか。分かるような分からないような。

じゃあ「心が強い」とはどういう状態だろうか。

いわゆる「前向き」というやつだろうか。

でも個人的に「前向き」って少しシニカルに見てしまう。

社会風潮的に「前向き」を推奨されがちだけれど、それも強制されたりしたら逆効果じゃないだろうか。「前向き」が「正解」だなんて、そんなに世の中は単純じゃないだろう。

改めて「心が強い」とはなんだ。

そう簡単には心が動じないことだろうか。泰然自若というやつだろうか。

そりゃそうであれば生きやすいのかもしれない。

以前に書いた「不惑」のような、惑わすものを断ち切ることが出来るということだろうか。

確かにそれは理想だ。でも、それがなかなか出来ないからこその「理想」だ。

じゃあひとまず「心の弱さを受け入れられることが心の強さである」ということにしようか。

個人的にはしっくりこないでもない。

 

というか啓蒙的になってきて気持ち悪いので、とりあえず止めよう。

 

こういう逡巡がライフワークであり、むしろ楽しんでいる私なので、欅坂46の『黒い羊』みたいな楽曲に惹かれてしまうのだ。

この楽曲をちゃんと聴いたのは退職したくらいのころなので、リリースから数ヶ月後だったが、これも『アンビバレント』と同様、衝撃的だった。

 

「黒い羊」、つまり英語圏で言うところのはみ出し者とか厄介者という意味の「black sheep」だ。歌詞含め曲調はまぁ暗く、個人的にはベースギターのフレーズが印象的な、かなりアレンジに特徴のある楽曲だ。MVはワンカット長廻しで、かなり手間が掛かっているだろう。かなり凝っている。

アンビバレント』と同様、それまでの日本における「アイドル」の概念からはおよそ考えられなかった楽曲であろう。というか、やりたい放題である。良い意味で。

 

で、やっぱりそのなかでも平手友梨奈が凄いのだ、と私が思ったその時でかなり“今さら”だっただろうが、彼女は稀代の天才だろう。

決して他のメンバーが劣っているのではなく、彼女は少なくとも日本の「アイドル」の中では天才性かつ異質性が突出しているのだ。それは歌が上手いだのダンスが上手いだのというような、よく言いがちな単なる技術論の埒外にあるものだ。とはいえ彼女は歌声もダンスもかなり魅力的だ。特に歌声。グンと響く感じ。

 

これらは素人目線の大げさな評価かもしれないが、秋元康や、例えば映画『HIBIKI』で共演した北川景子などが彼女に入れ込んでいることから見ても、それほど的外れではないだろう。

 

当該映画は単なるアイドル映画ではなく、小説家と編集者のバディものだと思うのだが、映画初出演初主演の16だか17歳当時の少女が演じる役としては異質で難しいものだっただろう。しかしそこでも彼女の天才性は発揮されていたと思う。

 

映画作品としては個人的にはまあまあだったが、平手が演じる主人公の「鮎喰響」はおそらく彼女にしか出来ないものだろう。というか当該映画は漫画原作で、そもそも作者は主人公のモデルを彼女にしていたという。ということは作者自身も彼女にもとより魅了されていたということだ。

 

今となっては彼女が欅坂46から離れたことは必然であったように思う。

仮にそれを多かれ少なかれ演じていたとしても、あの退廃的とも言えるイメージのまま、グループのメンバーとして長く活動し続けるのはどこか無理があるように見えていたからだ。

 

また、望みとしては脱退後には秋元康から距離を置いて欲しかったのだが、所属芸能プロダクションは変わらず『seed & flower合同会社』のままだ。

多くのファンにとっては安心材料なのかもしれないが、それでは彼から完全に離れたわけではないのだろうから、釈然としないものが私には残っている。

 

彼女自身は彼のことを信頼しているみたいな話は聞くのだが、彼のもとだとどんな芸能人も、芸能人として小さくまとまってしまうようなイメージが拭えないのだ。

 

まぁそもそもどういう決断をしようが彼女の自由なのだが。

 

 

そして改めて欅坂46の楽曲についてだ。

私は『黒い羊』に衝撃を受けた後で、それまでのシングル楽曲のMVをリリース順とは逆に、遡って観ていった。

 

PART9へ続く。