生きるとはアンビバレント(PART7)  ~さよなら48グループ、再びの欅坂46~

それらが表現する作品への興味が失われたことに加え、イデオロギーにおいても賛同出来ない方向に向かえば、それらに対する私自身の気持ちが離れるのは無理もなかった。

そして、改めてそれはAKB48に対しても同様である。というか48グループ全体に対してだ。

 

AKB48の楽曲『フライングゲット』のドラマ部分が含まれる長尺のMVで、大島優子前田敦子に対して、「民主主義なんて幻影だよ」と言うシーンがある。

 

この『フライングゲット』は第3回の選抜総選挙で選ばれたメンバーによってリリースされた楽曲であり、その際の第1位は前田敦子であった。そして大島優子は、その前回である第2回の第1位である。

 

選抜総選挙で選ばれたメンバーで構成される楽曲のMVに、民主主義に対する失望が込められているということは、表立って「AKB48選抜総選挙は民主的ではない」とAKB48自身が発していることになる。

しかも、この選挙の覇者経験者である大島優子自身にそれを語らせている。

 

もともと金権的で不健全な選挙制度であるということは誰の目に見ても明らかなのだが、そのことをAKB48自らが居直ってこのMV内で表現していると言えないだろうか。

 

また、この選抜総選挙の開票イベントでは毎回、そこで選ばれたメンバーにその場でスピーチをする機会が与えられる。しかし、そこでのスピーチ内容にも、例えば政治的発言の禁止など、いくつかの制約があるそうだ。

 

金権的であり、そしてそこで選ばれる当事者たちに対して言論統制が行われてきた選挙。加えて、その結果に涙を流すほどに一喜一憂しそれを権威化するその当事者たち、そしてそのファンたち。

 

件の須藤凜々花が結婚発表したのは、そこでのスピーチだったが、それに対して「神聖な総選挙の場でそんな発表は許せない」といった意見がいくつも見られたが、私はそれが全く解せなかった。

あれほど不健全な制度が神聖?そもそも結婚発表してはいけない場とは?一体どういう理路の意見なのだろうか。

後日考えてみたが、「結婚発表してはいけない場」というか、しない方が良い場合はありそうだ。他人の結婚式に行って、その祝いのスピーチで自分の結婚発表しちゃうとか。空気読んでない、的に言われそう。

しかし少なくとも、この選抜総選挙でのスピーチの場がそうであるとは思えない。

 

こういう枠組みや体制に彼女らを「包摂」するその構造は「現代社会の縮図」のようでもある。

断っておくが、これまで書いたことは彼女ら個々人を非難するものでは全くない。非難しているとするならば、このシステムと、それらを取り巻き助長させる「周縁」に対してだ。

 

 

…論じる気はなかったのに図らずも論じてしまっている感じになっている。というか、そもそもファンだった当時に自分の心が弱っていたかどうかの考察だったことをすっかり忘れていた。

 

心の弱りはやはりよく分からないが、問題意識を持ちながらも興味を惹かれていた部分があったのは事実だ。この「アンビバレント」な感じ…、そうだ欅坂46だ。

 

私は48から気持ちが離れた後に、一度は懐疑的だった欅坂46に改めて魅了されたのだ。

秋元康はやっぱり憎たらしい。

 

 

PART8へ続く。