占い師やってみた(3/3)

一度決めたことなのだから、もう少し頑張ってみてはどうだろう、いや、今回の場合の軌道修正は早い方が良いと思ったのだ。何せスッキリしたし、悔しくないのだから、もう頑張る気にもならない。情けない話ではあるが。

私自身の中に「警報」が鳴っている気がしていた。身体が嫌がっているのだ。その時、『論語』の「過ちて改めざる、是を過ちという」が頭を過った。早々に辞めることが自分の心身のためであるとも感じていたのだ。

 

考えてみれば、某占いアプリの時、タロット占いを用いて、各相談に真剣に答えていたのは確かだが、鑑定師としての資質の無さを啓蒙的な文言でカバーしていただけだったと思う。個人的には、どこの馬の骨とも分からぬ奴に上から目線で啓蒙的に諭されるなど不快である。よくベストアンサーにいくつも選ばれたものだと思う。本当に私の答えがアプリの相談者にとって力になれたのであれば、何よりであるが。

 

そして当該占い会社はよく私を「鑑定師」として採用してくれたと思う。その面接の時に、デモンストレーション鑑定を行ったが、拙いながらも私に「鑑定師」としての何がしかの可能性を見出してくれたのだろう。

辞めることに対して一応何度も引き留めはしてくれた。だが、私の意志は固かった。申し訳なかった。

 

 

また、前回「占いを信じていない」などと書いたが、「神秘性」を全否定するわけではない。神がかりといえるような偶然性を帯びた事象が存在することは事実であろう。ある物事の研究が原初的な方向に進めば進むほど、科学的、因果論的、あるいは唯物論的には説明がつかず、結果的に宗教的な神秘性に依っていくということもよく聞く話である。物理学者であるとともに宗教学者であるという方がいるように。

だから、「占い」によって救われている人がたくさんいることは事実であり、その存在自体を否定するものではない。結局はそれとの「付き合い方」なのだ。

 

また今回のことで、実際の対面鑑定における「鑑定師」のやっていることは、過去に自分が行ってきた、自身の労働力を資本側に提供してその対価に賃金を得るという構造とは明らかに異なることを痛感した。

 

程度の差はあれども深刻な相談を持ち掛けてきた相手と一対一で差し向かい、自身の「占いという非科学的なパフォーマンス」により、その相手が気持ちの平静を出来うる限り取り戻せるよう対応し、かつ、その対価としてその相手から金銭を得るのである。もう、「芸能的」であり「医療的」である。

 

相談者も様々である。

今回の極めて少ない経験の中で印象的だったのは、私が鑑定したわけではなく、一緒に出演していた鑑定師の方が対応した相談者で、自分の息子の進路についての相談であった。息子の大学卒業後の進路をその相談者が望むものにしたいのだそうだ。

占いでは相談者のその思いに応える考えをその息子は持っておらず、別の道に進みたいと思っていると出ているとのこと。それを伝えると、相談者はそれが気に入らないらしく、語気を荒げだした。

 

前回も書いたが、基本的に鑑定師は占い結果を伝えているだけであり、それを「単一の答え」であると捉えるのではなく、その結果を一つの可能性として取り入れて、改めて自分自身で考えるきっかけが「占い」なのだと私は思う。

 

この相談者に限って言えば、息子のことを自分の「所有物」のように思っているかのようであった。

「占いもいいが、ちゃんと息子を信頼して息子自身と話し合え。まず、あなた自身が変わらなければいけないのだと思う。」と、私はその相談者からはほぼ見えない位置で思いながら、このやり取りを聞いていた。

もし私がこの相談者の鑑定をしていたら、このようなことを考え、占いなどどうでもよくなっていただろう。

その客は最終的に鑑定師本人にもケチをつけ、料金を渋々払って帰っていった。

 

相談者によっては後々、会社にクレームを入れる場合もあるそうだ。金を返せと。

確かに鑑定師の質の良し悪しはあるし、相談者との相性もある。料金が高いと思うことだってあるだろう。

明らかな問題行為の場合はクレームも必要である。これに限らず超えちゃいけない一線だってある。

しかし、「占い」は、「占い」という極めて不確実性の高いものへの了見を、相談者と鑑定師がある程度共有していないと、やはりうまくいかないのである。

しかし「優れた鑑定師」ともなると、それすら凌駕してしまえるのだろうが。

 

あ、一部を除き、ほとんどの客は良識的であるとは思う。

繰り返すようだが、「占い」は過信や依存をせずに上手く取り入れていくという「付き合い方」が大切なのであり、その認識が相談者と鑑定師の双方に必要なのだ。

「良い占い結果だけ信じる」なんて定型文のように使い古された意見があるが(悪い結果を気にしていることの裏返しのような気もするが)、それで何の問題も無いのだ。その結果を受けて自分自身でどう考えるかが大事なのだと思う。

 

「鑑定師」は大変な仕事である。基本的に金銭的収入もほぼ期待できない。

「占い」を程良く好きであり、程良く信じていなければ続けるのは困難である。