私の退職理由
私は現在、無職の40歳なわけだが、100年に1度のパンデミックと言われる昨今のCOVID-19禍のあおりを受けて失職した、わけではない。私が前職を退職したのは昨年の9月末で、インフルエンザ以外のウイルスのことなど、少なくとも日本においては影も形も無かったころである(専門家やその周辺の方々の間ではどうか知らんけど)。
前職の退職理由は、事業方針に関して上司との意見の食い違い、いわゆるブラックな企業体質、たまらずその状況から離脱…などではない。全く違うとは言い切れない部分もあるが、決してブラックではなかったとは思う。
前職の業態は某放送局での技術職である、一応。というのは技術職と言ってしまってよいのかという疑問が個人的にあるからだが、とりあえず技術職にはカテゴライズされるだろう。
その仕事内容についてはともかく、今は私の退職理由を改めて考えてみたい。
じゃあそれらをキーワード的に挙げてみよう。
「威張るバカ」
「部下や後輩に責任転嫁」
「自己免責が最優先」
「人当たりだけがいいバカに乗せられる」
「話を聞かない」
「話が理解できないとき誤魔化す」
「時間意識の欠如」
「やってる感」
「自分より優秀な人間を排除する」
「マウンティング」
「権威主義」
「恫喝」
「レッテル張り」
「嘘を付く」
「自分の常識はこの世の常識」
「ここででかい声で雑談するな、うるさいわ」
「いつまでおんねん、はよ帰れや」
「これ何の意味あんねん」
「お前がやれや」
「イエスマンしか周りに集めへん奴がコミュニケーションを語るな」
「俺にガス抜きの役割してほしいって、ガスが溜まる原因を解消せんかい」
「臭い」「キモい」
……
全体的に言葉が乱れ、後半は特に情緒が先走りました。まだあるけど、このぐらいで。
というか、仕事してれば誰しも上記のようなことは少なからず経験したり、持ち得る思いだろう。
愚痴めいたものも散見されるが、ほとんどが改善可能なものであるはずだ。私自身のバカさ、臭さやキモさと共に。
古今東西、完全無欠の人間も組織も存在しない。それを求めることはファシズムにも繋がることであろう。
この世が理不尽にまみれているのは承知している。そして前職において、それらに私が追い詰められていた意識はない。
「よくある不満、誰しも多かれ少なかれ我慢している」。そうかもしれない。
「これぐらい我慢するのが“大人”だ」。それは…どうだろう?
「もっとブラックな環境に置かれている人もいる」。それも分かっている。痛ましい事件も数多くある。
しかし、そのことと自分の今回の退職理由どうこうとは話の筋目が違う
ともかく「自分の心が削られ失われていく感じ」が常にしていたのは確かなのである。
退職し、ある時『武器としての「資本論」(白井聡)』を読んでいた。その中の「実質的包摂」の件に差し掛かってすぐに、「これだ!」と思ったのである。この「心が削られ失われていく感じ」を言語化したものが、おそらくこの「実質的包摂」なのだ。「形式的包摂」からやがて「実質的包摂」に変化することによる「気持ち悪さ」が最も大きな退職理由であった“気がする”。
これは私にとって最も忌避したいことであり、これからは出来るだけ支配することもされることも無いように生きて行きたいのである。
出来るかなぁ…(遠い眼)。
個人的には円満退社であったと思っている。辞めて良かったとも思っている。しかしやがて後悔する日が来るのだろうか。うーん、どうだろう。