オー、ジャパニーズヴィディオゲーム

いわゆるTVゲーム。英語圏ではvideo game。私自身も若い頃から幾度となくそれで遊んできた。

近年はRPGオープンワールドのものなど、1人用のものばかりやっている。とはいえ、それほどゲームに詳しいわけではない。

ただそんな中、海外で作られたゲームについて以前から思っていたことがある。

ゲーム自体のストーリーなどに込められたイデオロギーなどについて、明らかに日本のゲームとは違いがあることだ。もしかすると“今さら”なのかもしれないが。

 

私が初めてプレイした海外ゲームは『ウィッチャー3』という、ざっくり言うと13世紀頃の西洋世界を舞台に「ウィッチャー」と呼ばれる特殊な能力を持った戦士たちが、複雑なストーリーを背景に、人を襲う魔物やら悪霊やら悪人やらと闘っていく海外小説が原作のゲーム作品だ。何となく始めた作品だったが、私はこの序盤で出てきたある一言で私はカルチャーショックを受けた。

 

それは主人公たちがとある店で酒を飲んでいた時、態度の悪い客たちを指して「愛国者」と言っていたからだ。排外主義的な輩のことを「愛国者」と称するなんて、日本のゲームでは見たことがなかったのだ。自分が知らないだけで既にあるのかもしれないが、その時まで自分がプレイしてきた、例えば『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などでは明らかに見られなかった表現だった。

 

また、他にも海外ゲームでは『アサシンクリード』も有名であり、これはかなりの数のシリーズ作品があるのだが、これらの主人公は「アサシン」つまり「殺し屋」で、もちろん殺す相手は基本的に悪人たちだ。作品ごとに舞台となっている国やその時代が様々であり、フィクションとはいえ主に史実がベースとなって物語は展開する。例えば、作品によっては18世紀後半のイギリスがゲームの舞台で、カール・マルクスが出てきて、「資本家により搾取される労働者」的な話にも触れていたりする。

 

私は『ウィッチャー3』や『アサシンクリード』のいくつかぐらいしか海外ゲームのプレイ経験はないが、それらには、政治家などをはじめとする権力者の圧政や弾圧に苦しめられる国民や、その中での貧困や差別といった現代の社会問題に繋がるようなことがストーリーの主要な背景としてもれなく設定されている。

 

と言いつつ、その『アサシンクリード』シリーズなどを制作しているゲーム会社であるUbisoftの職場内では性差別、虐待や暴行などの不正問題が起きているという報道があり、同社からもそれを認める声明も出されている。「そういうこともあるさ」で看過できない矛盾だ。同社の自浄能力に期待するが、これも近代資本主義が生んだ病だろう。皮肉な形だ。

 

 

ともかく、それらに触れるまでの自分は、勧善懲悪の単純な物語のもと、目の前の敵を派手な描写で打ち倒していくだけの、そんなゲームばかりをプレイしていた気がしたのだ。

 

日本でも史実に基づくゲーム作品といえば、例えば、戦国時代や明治維新をテーマにしたものがいくつもあるだろうが、私の知る限り、いわゆる「ヒーローもの」的に単にエンターテインメント化させているものばかりで、各時代の出来事と現代情勢とがいかに地続きかなどの視点を全く持てない。いずれも底の浅さを感じてしまうものばかりだ。

 

例えば、いま考えれば尊王攘夷なんて、パターナリズムゼノフォビアを利用したろくでもないイデオロギーだろう。

 

 

モンスターハンター』もしばらくプレイしていた時期はあったが、ある時ふと思った。

 

なぜ人里離れたところに生息しているだけのモンスターを人間の都合で殺めたり捕獲したりしているのだろう。

生態調査の名目で、自身の武器や防具を強くするためにモンスターを傷付け、アイテムを取得するって酷くないか。

ゲームの設定上、その場所に行かなきゃモンスターだってこちらを襲ってこない。

というかそこに行くから襲ってくるのだ。

場合によってはこちらが何もしなければ襲ってこなかったりもする。

まぁ、ストーリー上、人間たちの生活を脅かすモンスターに対応するって場合はある。

しかし、そもそもモンスターは「悪」ではない、生存のための行動をとっているだけだ。

 

単なるゲームなんだけれど、そう思ってしまったら、このゲームをやる気が失せてしまった。

めんどくさいことを考えてしまったものだ。

 

しかし先にも書いたが、『ウィッチャー3』や『アサシンクリード』も人間であっても「悪人」なら殺すことは許されている。

そりゃあ、そいつらはこちらを見れば無条件に襲ってくる。

でも「悪人」だったら殺してもいいというのも、どうなのかという話にもなる。

というか魔物も悪霊も、基本は同じじゃないのか。

そんなこと言っていたら、そもそもゲームなんて出来ないけれど。

 

総合すると、極めて私見だが、海外のゲームはモヤッとしたものを少なからず残して終わるが、日本のそれは「諸悪の根源はコイツ」みたいな単純な物語に落とし込んでスッキリさせるパターンが多い感じである。それはゲームに限らないことなのかもしれないけれど。