中年の危機とスターの鬱(PART 1)

「ミドルエイジクライシス」

まことに遅ればせながら、最近この言葉を知った。

 

ググって筆頭に出てきた東洋経済オンラインの記事の冒頭の説明によると、

「人生の中盤に差し掛かり、仕事もプライベートもある程度の経験を積んで、今一度、自分自身を振り返る時期を迎え、今までの自分とこれからの自分の狭間で、「このままでいいのか」と不安や葛藤を抱え、不安定な状態になること」という意味の言葉らしい。

 

なるほど。私は現在40歳。現代の平均寿命からすれば、おそらくこのミドルエイジに当たるのだろう。

 

この言葉を知ったのは、プロインタビュアーの吉田豪がやっているの『猫舌SHOWROOM 「豪の部屋」』というネット配信番組の、いとうせいこうがゲストの回を観た時だった(正確にはYouTubeSHOWROOMとは関係の無い形で挙げられている動画を観たのだが)。

 

「ミドルエイジクライシス」という語はいとうから発せられたものだったが、多くの人が知っている通り、いとうは主にサブカルチャーを軸に多分野で長年に渡り精力的に活動し、様々な功績を残している人である。しかしここでの話では、それらの活動と共に「鬱」と常に隣り合わせで、現在では笑い話に出来る部分があるとはいえ、過去にはかなり辛い時期もあったということが語られていた。

 

私は「鬱」について、「完璧主義者」や「仕事が出来る人」などがなりやすいといったような正確かどうかも曖昧な極めて乏しい情報しかない。だが、「鬱」症状は多様であり、当人にとっては非常に深刻なことであるという理解はあるつもりだ。

 

前職でも鬱状態となり、入院し長期間の休職の末に退職した、私より一つ年上の人がいた。私は目の当たりにしたことは無かったが、勤務中に精神的に不安定な状態になったことがあったということは同僚から聞いていた。その人が完璧主義者かどうだったかは分からないが、「自尊心」みたいなものは高い印象だった。

 

繰り返すようだが、少なくとも現在の私には「鬱」の心の状態というのは、よく理解出来ていない。だからといって、その状態の人を目の前にしたときに、蔑視や忌避するような心は持ち合わせていないつもりであるが、やはり対応に苦慮するであろうことは想像できる。

 

今思うと、「鑑定師(占い師)」を早々に辞めてしまった理由の一つに、そういった状況の相談者が来る確率が高いのではないかと思ったところもあったからかもしれない。精神疾患の専門知識も無いのに対応して、その人たちの心をより傷つけてしまう不安を感じたのは確かなのだ。

 

改めて、「鬱」とも関わりが深い、この「ミドルエイジクライシス」、私においてはどうなのだろう。

確かに前職の退職理由に件の「実質的包摂」への忌避以外に、「将来への不安」はあった。

 

おそらくこのまま定年を迎えても、金銭的な面で言うと、現在の日本の年金制度に信頼は置けない。人口減少の中では現行制度としては破綻。しかも、あろうことか国民から毎月徴収している年金基金の多くを政府は株式運用に注ぎ込み、何兆か十何兆か知らんが運用損を出し続けている…つまり、我々が払っている年金が日々ほんの一部の投資家のもとに流れていく…そして支給額は減り続け…支給年齢は引き上げられ…定年を迎えても年金だけでは食べていけない…と、遠い眼をして不安を感じ続けていた。

 

加えて、日本で毎年起きる災害、このコロナ禍などもそうだが、古今東西老若男女問わず本当に生物はいつ死ぬかわからない。

それならばなるべく機嫌が悪くならないように生きて行きたい、よしまず仕事を辞めようと思い立ち、そこから辞めるための準備を始めたのである。

 

辞めてから、ほとんど予定通りにはなっておらず、楽観視は出来ないし、不安だし、「クライシス」には違いないが、自分に期待していないせいか、やはり現状は「鬱」的なものは自覚していない、と思う。

「躁」もそうだ。何せ私は「おとなしい」ので。

 

こう考えると、私の現状での「ミドルエイジクライシス」はそこまで深刻ではないのかもしれない。

現状は、だが。

 

しかし、当該番組のことに戻ると、この他にも吉田は「サブカルを通っている人間は40歳ぐらいで欝々とし出す傾向があるようだ」ということも言っていた。

 

 

PART2に続く。